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2014年4月12日 大坂史跡探訪vol.15

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4月13日 大坂史跡探訪VOL15
 

肌寒い中、19名で中之島付近の史跡を散策しました。雙松岡塾跡の復元の話や大村藩蔵屋敷跡碑の建立のいきさつなど講師から詳しくお話しされました。


・大石内蔵助良雄寓居跡 ・.赤穂義士ゆかりの地 矢頭長助・右衛門七墓所 
・矢頭右衛門七顕彰碑 ・薩摩藩士早田八右衛門ゆかりの「五大力の碑」 ・蜆川跡 
・越後長岡藩蔵屋敷跡 ・尾張藩蔵屋敷跡 ・「双松岡」塾跡(石碑が再復帰) ・桑名藩蔵屋敷跡
・五代友厚ゆかりの地 精藍所・西朝陽館跡/明治天皇聖躅碑 ・大村藩蔵屋敷跡 ・堂島薬師堂 
・茶屋「河庄」跡 ・国産ビール発祥の地 ・堂島米市場跡 
・新選組ゆかりの地 大坂力士騒動の跡 蜆橋(堂島橋)跡 ・小城藩蔵屋敷跡 ・佐賀藩蔵屋敷跡 
・船入橋(鍋島橋)跡 ・新選組ゆかりの地 大坂力士騒動跡 鍋島浜 ・夏目漱石宿泊地「銀水楼」跡
・板垣退助静養の地「自由亭」跡 ・関一像 ・大阪市中央公会堂など見学しました。

龍馬速報130号発行

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2014年4月28日に「龍馬速報130号」(24頁)を発行しました。



表紙写真(桂浜龍馬像) 大阪史跡探訪VOL.16の案内 総会とビデオ観賞告 超マニアック!天誅組十津川郷士史跡めぐりツアー報告レポート②(楢崎) 龍馬の手紙発見  良誠会事件簿20京摂情勢(結城) 大阪の史跡を訪ねて58回目(長谷) ニュース記事ほか

2014年5月25日 大坂史跡探訪vol.16

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 谷町4丁目・天満橋付近の史跡を散策しました。講師の尽力で非公開の大阪城の石垣(豊臣期の築造)を見学することができ、とても有意義な史跡散策でした。31名参加。


三橋楼跡にて。長谷講師の尽力でこの場所で様々なドラマがあることがわかりました。三橋楼跡の銅板、石碑設置は近日中だそうですが、これは、長谷氏の尽力で実現されたとのこと。凄い事だと感心しながらみさせてもらいました。


大村益次郎、司馬遼太郎終焉の地と巨大な大村益次郎卿殉難報国之碑です。


豊臣期の一般非公開の石垣です。歴史ある追手門学院小学校の校舎を通り地下へ… 野面積みの石垣に触れる事ができました。こんな貴重な体験ができるなんて、とてもラッキーでした。
そこで記念写真

龍馬速報131号発行

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2014年9月23日に「龍馬速報131号」(28頁)を発行しました。


表紙写真(下田の龍馬石像) 大阪史跡探訪レポート(豊田・溝端・西尾) 大阪史跡探訪VOL.3紹介 超マニアック!天誅組十津川郷士史跡めぐりツアー報告レポート③(楢崎) 良誠会事件簿21八月一八日政変(結城) 大阪の史跡を訪ねて59回目(長谷) 大河ドラマ花燃ゆ関連記事 ニュース記事ほか

2016年11月27日 墓前祭

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講師は上田敏雄副会長 参加者は14名。

一日中雨でしたが、墓前から清水寺、清閑寺を見学しました。


まずは龍馬の墓参り


清水寺へ移動 成就院へ 月照上人の関連史跡へ


途中にたくさんの石仏が


清閑寺にある西郷史蹟


一日中雨だったので、甘酒を・・・


墓前近くで記念撮影

龍馬速報137号発行

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2017年1月31日に龍馬速報137号(32頁)を発行しました。



表紙写真(函館坂本龍馬像) 2017総会と講演会のご案内 2017年の活動紹介 京街道を歩く第4弾のご案内 2016年総会レポート 龍馬の手紙発見される 八幡から楠葉まで-京街道を歩く第3弾(林美奈子) 大坂史跡vol.19に参加して(豊田和子) 大坂史跡vol.20に参加して(末岡圭美) 薩長同盟論の現在の講演を拝聴して(桜宝寿) 講演要旨 京都国立博物館見学会と京都七条近辺の史跡巡りに参加して(正井良治) 2016年11月27日龍馬‐墓前祭&歴史散策(村田倫子) 龍馬つれづれ記(桧垣義弘) 水戸史跡探訪レポート③(楢崎省三) 大坂の史跡を訪ねて65回目(長谷吉治) 大坂史跡探訪vol.5「心斎橋・長堀橋・松屋町・谷町9丁目周辺」冊子販売のお知らせ 編集後記

2017年1月22日 「澤田先生と行く山田家住宅」

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「澤田先生と行く山田家住宅」に参加して 

 集合場所はJR阪和線・新家駅。普通電車の止まる駅です。
 今にも振り出しそうなお天気で、場所も大阪府の端っこですが、たくさんの会員の方が集まっておられて驚きました。寒空の下、予定時刻まで雑談して待っている間も、ワイワイとみなさんお元気です。
 



 会場の山田家住宅は、新家駅からすぐの場所。到着するや否や、澤田先生のお話がすでに始まっておりました。




 私は澤田先生のお姿に圧倒されました。お召し物も、甲冑をイメージさせるデザインがなされたもので、キラキラときらびやか。そして、それを着こなしておられる。
 
 次から次へと銃を手に取り、ひらひらと慣れた扱いで紹介してくださいます。お話も、ユーモアもたっぷり。
 見せていただいた銃も、澤田先生のお持物だけではなく、他の方の物や、そして山田家住宅に伝わる銃など、作られた時代や、大きさや見た目も違ったものです。
 火縄銃は、本で読んだり、レプリカを手にしたこともありますが、本物を手に持たせてもらえて、その重さにびっくり!
 
 

 山田家住宅は、泉南市にある昔の庄屋さんのお宅です。豪農であり、土地を守るための武装もされていたのが印象的でした。岸和田藩にお金を貸していたのではないかというお話も飛び出し、幕末期の農家の力の大きさを感じました。

2017年3月5日 総会と講演会「旧東海道を歩く」

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総会と講演会をAAホール(大坂海軍塾跡)で行いました。
講師は3年連続の正井良治さん。今回は「旧東海道を歩く」をテーマに街道の話を中心に話してくれました。
実際に2016年11月からほんまに東海道を歩かれたんですよ。タフでしょう。


少し暗いですが、スライドを使って写真ふんだんに





龍馬速報138号 発行

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2017年4月17日に龍馬速報138号(26頁)を発行。
実は2017年は大阪龍馬会創立30周年なのです。
紙面で30年を振り返る企画を4号に分けて行います。
今回は1987(昭和62)年から1996(平成8)年までの年表、イベント写真、このとき芝居に凝っていたので芝居の写真などで振り返りました。
記事も林事務局長、上田敏雄副会長、林美奈子幹事が書いてくれました。



神戸史跡探訪vol.4の案内 神戸史跡探訪vol.1「神戸市中央区」冊子販売のご案内 京街道を歩こう第5弾「守口宿」のご案内 1月22日「澤田先生と行く山田家住宅」に参加して(溝端亜由美) 講演会「旧東海道を歩く」を拝聴して(岡田真実) 坂本龍馬と中岡慎太郎ゆかりの佐賀関(藤井一弘) 大坂の史跡を訪ねて連載66回目(長谷吉治)
創立30周年を迎えて 草創の5年間(林慎吾) 過去を振り返って(上田敏雄) 激動の日々 劇団「大阪龍馬会」(林美奈子) 大阪龍馬会活動記録(1987年~1996年) 編集後記 大阪龍馬会販売冊子の知らせ

新聞記事 寝そべってもええぜよ高知に「リョーマの休日」像/維新博 幕開け 志士足跡 各地で追う 龍馬「新国家」手紙公開/春の特別展:幕末群像、無名志士に光当て 初公開の自画賛や短刀含む100点 霊山歴史館/幕末の息吹 志士写真から 新博一環 宿毛歴史館 勝海舟や後藤象二郎ら展示/勝海舟記念館着工へ 大田の別荘跡地 旧文庫改修/龍馬の相棒、用心深く 中岡慎太郎 偽名、筆跡変えた手紙/浦賀ドック建設 貴重写真で 横須賀製鉄所ゆかりの資料展示/いばらき魅力再発見:水戸市松本町回天館 幕末・天狗党の悲劇伝える/支局長からの手紙:新発見の二つの書状

2017年4月2日 京街道を歩く第4弾 楠葉砲台と枚方宿

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2017年4月2日 京街道を歩く第4弾 楠葉砲台と枚方宿に行ってきました。案内は林慎吾事務局長。
今回はそんなに歩きませんと言われた通り、ほんとうに歩きませんでした。



枚方公園駅で集合して、枚方宿の花街や、川崎麻世の実家の喫茶店前を通り、枚方市立鍵屋資料館へ。
枚方宿の説明やくらわんか船の由来など見ごたえありました。なんといってもその外観は昔の船宿。



枚方市駅までの一駅でしたが、昔の面影を残すたくさんの建物がありました。

本陣跡公園で「くらわんか餅」を皆でいただき、林一家のはるちゃん(柴犬)ともここでお別れして、枚方市駅から京阪電車に乗って橋本駅へ。

前回訪問した樟葉砲台がきれいに整備されたので向かいました。







当時の建物が分かるように植栽で表現されていて堀は水色の路面。蓮華がいっぱい咲いていました。なかなかいい感じです。

そして待ち焦がれていた「樟葉砲台」の石碑(橋本砲台と書いてるが)が復活していました。

終了時間は16時。こんなに早く終わるイベントは久しぶりでした。

2017年4月16日 神戸史跡探訪vol.4

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桜満開の4月16日 神戸史跡探訪に行きました。講師は長谷吉治幹事。長谷講師の神戸も4回目。
今回は神戸史跡探訪vol.1のテキストを持って新神戸駅に集合しました。




たくさんの史跡をまりました。



異人館街をゆく、受付の人は糠よろこび

新神戸駅あたりへ戻って今度は西へ向かいます。街路の木の名前が「泰山木」であることを最近長居の植物園に通っている川口さんよりレクチャーしていただきました。
しかしまあ、異人館周辺は坂道なワケですよ。結構な坂。しかもこの日は急に暑くなったこともあって某U田さんが早くもピンチ。とりあえず、励ましなだめすかしながら歩きました。
坂をひたすら登って「坂の上の異人館/旧中国領事館」。中華民国南京国民政府時代の領事館だったそうです。あ、でも中には入りません。受付の人からしたら「あ、団体さんだわ。うふ。えー登ってきたのに入らないのー?」って感じだったかもしれません。

続いて、現在、結婚式場となっている「旧ハンター邸(日本家屋)」。落ち着いた中にも重厚さのある素敵な建物です。こういうところで挙式したいなー。よーしまだあきらめないぞ(何を)……といった妄想はどうでもよく、旧ハンター邸の門や外壁の名残が道々の色んなところに有馬温泉!なのが面白かったです。壁のHのイニシアルなんて普通に歩いていたら気づかないかもしれませんよ。
 
さて、異人館街で多分一番有名なのが「風見鶏の館」。しかしこれまた館に尻を向けて、反対側の「ジャーデン・マセソン商会の門柱」にシャッターを切る我々なのでありました。長州ファイブのイギリス留学援助でも有名なジャーデン・マセソン商会、旧居留地に建っていた建物の門柱を保存のためにここに移してきたそうです。因みにこのレンガの積み方はイギリス積みというやつですね。


風見鶏の館には目も向けず、その前にあるレンガ造りの門柱の説明を


神戸海軍営の碑



花隈城跡、そして伊藤博文、さらに柴田剛中。

 山を下って諏訪山児童公園でしばし休憩後は市街地へ向かいます。暑さもあって皆さんややバテ気味です。U田さんも薄れゆく意識の中でうわごとのように「ビール…」とつぶやいておられました。この公園内には「明治天皇御小休舊神戸税関監視部建物」の碑もあります。さすがは日本一石碑の多い明治天皇ですね。
南へ下って住宅地の細い道を歩いて行くとつきあたりに工事現場のフェンスがありました。こちらは「伊藤博文令嬢の墓所跡」なんだそうです。当時の新聞記事を合わせてご紹介いただきました。そしてフェンス越しに写真を撮る我々なのでした。

さらに南へ向かいます。下山手通の「小泉八雲旧居跡」では、これまた「こんなところにゆかりの地が!」とびっくりしつつ、「花隈城跡」へ。ちょっとした高台の広場に円柱の碑があります。石碑の文字は「侯爵 池田宣政」書。この方は荒木村重が籠城する花隈城を攻めた池田恒興のお血筋なんですよね。中々感慨深いです。
横には達筆な文字で「東郷井」と書かれた石碑が有馬温泉。東郷とはもちろん東郷平八郎。デュークではありませんよ。「初代(!)戦艦大和」が神戸で建造中の明治18年から2年程、東郷平八郎はここからちょっと離れた所にあった「神戸倶楽部」に滞在していたそうで、その時使用いていた井戸を記念した石碑です。初代の大和の艦長は東郷平八郎(中佐)なんですね。因みに平成27年(つい最近!)までは石碑は元の場所にあったそうです。

再び町の路地を歩いて行くと「福徳寺」というお寺の前に「花隈城天守閣の跡」の碑がありました。規模としてはこちらの花隈町一帯が花隈城だったようです。
明治になるとこのあたりは花街として栄えていったそうです。今はその面影はほとんどありませんね。初代兵庫県知事として赴任した伊藤博文が住んだのもこのあたり。就任当時27歳。若い!庄屋橋本藤左衛門の別邸「橋本花壇」がその場所です。
伊藤博文が知事辞任後は妹さんが「吟松亭」という料亭を同じ場所で始めたそうです。その吟松亭の住所が古地図に載っているので「このあたりに伊藤博文が住んでいたことが分かる」わけです。そういうことを教えていただいて町を眺めると同じ町が違って見えますよね。来てよかった「大阪龍馬会 史跡探訪」と思うのですよ。いや本当。
なお、「吟松亭」にあった常夜燈が神戸市北区の料亭で見ることができるそうです。どうですか、奮発して料亭でも。


伊東博文寓居跡 長谷さんが場所の推定をしました。すごいですね。




記念写真は「あ。撮るの忘れていた。」とのことで最後に訪れた「善福寺(モダン寺)」で。インド風の塔がオシャレです。
慶応3年、幕臣柴田日向守剛中が神戸開港の業務のためこちらに滞在していたそうです。勉強不足の私は、柴田剛中という方はまったく知らなかったのですが、文久遣欧使節として欧州を回ったこともあるようで、その経歴からしてとても有能な方のようです。福澤諭吉と一緒に写っている写真でも切れ者感が出ています。こんな感じで今まで知らなかった人物に興味が湧くのも史跡巡りの楽しみですね。

2017年6月25日 大坂史跡探訪vol.21 夕陽丘周辺

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大坂史跡探訪・大坂史跡探訪冊子第6弾発売「夕陽丘周辺」  講師:長谷吉治幹事

出来立てのテキストを持ってスタート


あいにくの雨でしたが、谷町9丁目からスタート。最初の見学地は今田耕治が遊んだブランコのある寺、



そして生國魂神社にある八軒家船着場常夜燈(萬延元年・寛保3年)を見学。




水戸藩士ゆかりの地川崎孫四郎自刃の所/島男也旧居跡


 安政7年(1860)3月3日、江戸の桜田門外で、水戸、薩摩の脱藩浪士により、大老の井伊直弼が暗殺されるという大事件がおこった。このとき、江戸だけではなく大坂でも並行して、水戸、薩摩藩を中心とした挙兵計画があった。
 大坂での挙兵計画は、水戸藩士高橋多一郎が指揮を執り、川崎孫四郎ら水戸藩士、薩摩藩士や勤王の志士らが実行にあたろうとしていた。
 ところが、薩摩藩が慎重策に変じ、計画が進まなくなったところ、幕吏(大坂町奉行所)にこの計画が漏れた。
 桜田門外の変後間もない萬延元年(1860)[※3月18日より改元] 3月22日、生國魂神社付近にあった笠間藩士島男也宅に水戸藩の志士たちが協議のため集まった。
 集まったのは高橋多一郎・庄左衛門父子、川崎孫四郎、山崎猟蔵、大貫多介、小室治作、黒沢覚蔵、島男也の8名だった。幕吏から逃れるため翌日、住吉へ場所を移すことが決まり就寝した。早暁(23日)逃れる直前、幕吏が取り囲んだ。
 川崎孫四郎は高橋父子をその場から逃して防戦したが、深手を負ったため自刃を試みた。自刃し死に切れないでいるところを捕らえられ、翌日死亡した。
 島男也は捕らえられた後、江戸の伝馬町の牢に送られ、文久元年(1861)11月5日牢死した。そのほか、高橋多一郎、庄左衛門父子は、囲みを破り四天王寺まで逃れたが、同寺内で自刃。(高橋父子の墓が四天王寺境内にある)
 この計画に加担していた坐いかすり摩神社の神官佐さくらあずまお久良東雄も捕えられ、江戸伝馬町の牢獄に送られ6月獄死した。

土佐藩関係者の墓

新選組ゆかりの地新選組大坂旅宿跡/大寶寺・萬福寺

源聖寺坂(?)での記念撮影


2017年


2004年


2000年

2000年の写真は撮影場所が違いますが、2004年と2017年は同じ場所です。

他にも、小説「燃えよ剣」ゆかりの地料亭「西照庵」跡、関白太政大臣二条斉敬邸の遺構/鳳林寺、赤穂藩主浅野内匠頭長矩墓所/吉祥寺、赤穂義士四十七士墓所、大石内蔵助像、赤穂義士四十七士像、蜂須賀正勝顕彰碑、柴田勝家・お市の方供養塔/天鷲寺、加賀藩大坂蔵屋敷ゆかりの石鳥居、松尾芭蕉墓所と芭蕉堂、豊臣秀吉木造安置の地/珊瑚寺、口縄坂、麻田剛立墓所、陸奥宗光の父 宗広隠居所(自在庵)跡/稱念寺、夕陽岡表(陸奥宗光 先考 伊達宗広を弔う碑)、清地蔵、陸奥宗光及び陸奥家墓所跡、陸奥宗光 最初の妻 蓮子の墓碑、原敬 陸奥宗光に追慕の意を表す碑、陸奥家墓所の菩提樹、小松帯刀墓所跡、藤原家隆墓所(家隆塚)を見学しました。

2017年5月21日 京街道を歩く第5弾 守口宿

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長谷吉治幹事の案内で守口宿へ

 余談から入ります。京街道シリーズは本当なら京都から大阪まで歩くつもりでした。第1弾は鳥羽から淀、第2弾は淀から八幡、第3弾は八幡から楠葉と順調に歩いておりました。が、楠葉から枚方宿までほとんど住宅地。ひたすら歩くだけになってしまう。そこで全行程を歩くのは断念して要所要所を押さえようと、第4弾は枚方宿、そしてこの第5弾は守口宿となりました。京街道には橋本・枚方・守口に宿があったので、これで良しと一人で納得しました。起点というか終点の高麗橋付近は長谷さんのイベントで案内されているのでまあいいかです。


1 江戸川乱歩寓居跡
 地下鉄守口駅に江戸川乱歩寓居跡の看板を見たことがありました。劇団潮流で「夢幻乱歩館」を上演するとき、江戸川乱歩について少しは勉強しました。守口に住んでいたことも知ってはいましたが・・・。テキストに「推理小説家江戸川乱歩が27歳の頃、父を頼り、守口市、門真市を転々と5回移り住んだ・・・。」えっ!5回も。確かに引っ越し魔とは知っていましたが。
 さて、長谷吉治講師から「たまには史跡を皆さんで探してみませんか」と言われ、参加者は必死に探す。探す史跡は「名探偵明智小五郎が初めて登場するD坂の殺人事件執筆地」。写真も住所もわかるので楽勝かと思われましたがなかなか見つからず・・・。しまいにはU田氏は通りすがりの美魔女に声をかける有様。残念ながらタイムオーバー。案内されたのはマンションン1階のベランダ。のぞき行為に近い恰好で見ましたが、これは見つからへんわ。


さあ、クイズの時間です。この写真の史跡を探してくださいと江戸川乱歩寓居跡をさがす


マンションのベランダを覗き込むと見える石版


2東海道(京街道)一里塚跡
 東海道は日本橋からスタートし、最初の宿場である品川から57番目の宿場が守口で、最終地点は高麗橋東詰になる。守口宿の東端に該当する箇所が、たまたま一里に該当し、一里塚が置かれた。こんなところにあるのかと驚き、しっかり保存されていたのはうれしい。守口の一里塚跡は西側に碑が残ってます。




3 明治天皇行在所の難宗寺
 『大きなお寺で、蓮如上人が文明9年に創建したと伝えられる。慶応4年3月21日、明治天皇は大坂へ行幸する途中、難宗寺を宿所とした。翌日、出発された天皇は大阪の西本願寺津村別院(北御堂)に到着し、44日間滞在された。
 難宗寺には明治天皇の御座所が今でも保存されている。この行幸に随行した人数が1659名だった。随行者の宿所は佐太(守口市)から関目(大阪市旭区)までの広範囲にわたり宿が割り当てられた。
 明治43年10月3日、当時の皇太子(のちの大正天皇)も宿泊されている。
 また、境内には大阪府の天然物指定されている銀杏の大木がある。』いや、びっくり。行在所が守口にあるなんて。そのまま残ってるし。長谷講師に感謝しながら拝見。写真撮影もできたからうれしさ倍増。
 明治天皇行在所。写真左下の木製箱は大正天皇使用の湯殿(お風呂)。貴重やわ。
 守口宿本陣では、宿場の勉強。3月の正井さんのお話でも宿場の勉強しました。
 

4 桂小五郎宿泊の地
 小五郎は守口にも来ていたのか。
 『駒井正三著の「ふる里守口を訪ねて(発行 守口市市長室広報担当)」によると、幕末期、長州藩士桂小五郎(木戸孝允)は、大坂に用事があってもできるだけ大坂で宿泊せず、守口に宿泊したとの記載がある。
 桂が宿泊したゆかりの地が呉服商茜屋であった。茜屋のご子孫である西田家には、桂が書き記した書が所蔵されていた。(現在は、代が変わり、西田寛三氏の御子息にお聞きしたところ、桂が書き記した書は、行方不明だとの事である。)
 桂は守口や森小路に宿泊したと言い伝えられている。』




 司馬遼太郎住居跡も行きました。司馬さんは守口に住んでいたのか。西区のマンションしか知らなかったし、「梟の城」を書いたのもここと聞いてビックリ。



 文禄堤を歩き次の案内場所へ。
 
5 第14代将軍徳川家茂宿泊の地
 守口宿とお別れして大阪市内へ京街道を進む。
 『文久3年(1863)3月、第14代将軍徳川家茂は、第3代将軍徳川家光以来、230年振りに上京した。
 この時、家茂は朝議で攘夷実行期限を五月十日」と約束させられる。
 家茂は、4月23日に大坂城へ入城した。大坂城へ将軍が登城するのも家光以来のことだった。
 家茂は5月11日まで大阪に滞在したが、その期間中に宿泊したと伝えられるのが「木犀の陣屋」である。時期は、文久3年4月と伝わっている。
 この陣屋とは、庄屋の浅田家の屋敷で、庭に木犀の木が三本あり、これらの木から醸し出す香りが、遠くまで漂っていたことから「木犀の陣屋」と呼ばれていた。
 しかし、「徳川實記」で見る限り、家茂が大坂城以外で宿泊したのは、岸和田にて順動丸で碇泊した4月28日以外は記載がない。
 唯一、4月26日に大坂城から離れて、数か所の新田会所を訪れている。その時にここを訪れて小休止したのが宿泊に誤って伝えられたものかもしれない。また、その後、家茂は2回、大坂城へ入城し、最終的には大坂城内で亡くなった。』



記念撮影

2017 墓前祭のご案内

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 すっかり秋めいてまいりました。当初9月発行予定の機関誌が遅れております。大変申し訳ありません。11月には発行したいと思います。
さあ、秋といえば墓前祭! 上田敏雄副会長の案内で東山界隈を歩きます。今回は昼食付です。みなさまお誘いあわせの上、ご参加ください。

日時:11月12日(日)
集合時間:10時30分
集合場所:八坂神社の石段

コース
霊山~噲々堂跡~中井弘の胸像~昼食(かがり火)~
知恩院新門~知恩院古門~白川一本橋~明智光秀の塚~白川道標~龍馬結婚式場碑~粟田口碑~南禅総門~無鄰菴~琵琶湖疏水記念館~インクライン上を歩く~田辺朔郎像~ねじりまんぽトンネル~地下鉄蹴上で三条~三縁寺跡の碑 解散は三条駅

会費:6000円(昼食・見学料・交通費込)
締切:11月6日
申込み・問い合わせ先 大阪龍馬会事務局 電話・ファクシミリ 072-853-9669 090-9110-3355
〒573-0084 大阪府枚方市香里ヶ丘12-28-17 メール:s-hayasi@cronos.ocn.ne.jp

宝暦治水史跡探訪のご案内

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 当初は10月に予定しておりました「宝暦治水史跡探訪」。下記の日程で行います。
 岐阜に男前集団が、薩摩からやって来た。今から260年以上昔の話。その男前集団の名前を薩摩義士という。はるかかなた、薩摩から岐阜へやって来て、彼らはどのような働きをしたのか? どのような男前であったのか。薩摩では、関ヶ原以来の国難であり、幕府と真っ向から対決せざるおえなくなる。江戸中期、太平の世に、仕掛けられた戦。
 かれらはどのように立ち向かったのか? その一部の足跡を辿ってみたいと思います。
 
日時:12月3日(日)
集合場所:なんばO-CAT前(千日前通り)
集合時間:8時50分 9時出発

見学予定地(時間の関係でカットする場合があります)
岐阜県
輪之内町:円楽寺(舛屋伊兵衛墓)江翁寺(薩摩義士六士墓)宝暦治水三之手出張小屋跡
 薩摩堰治水神社・薩摩堰遺跡 片野萬右衛門碑 心岩院(薩摩義士墓)
海津市:円成寺(薩摩義士十三士墓)三川分流碑 油島千本松締切碑 治水神社 治水観音堂
 内藤十左衛門顕彰碑 薩摩義士像 国営木曽三川公園 宝暦治水碑 平田靭負翁像
 常栄寺(薩摩義士墓)
養老町:天照寺(薩摩義士墓)薩摩義士記念館 根古地薩摩工事義没者二十四士墓
薩摩義士役館跡・大巻薩摩工事授館跡 平田靭負自刃の地
羽島市:薩摩義士之碑(薩摩義士公園) 石田の猿尾 逆川締切の洗堰 水神社
 逆川の木曽川分派口洗堰遺跡 清江寺(薩摩義士三士墓) 小林寺(薩摩義士墓)
 竹鼻別院(竹中伝六墓) 神宮神社 薩摩義士顕彰碑

会費:8000円(見学料・交通費込)昼食は各自で(昼食場所へはご案内します)
締切:11月30日
申込み・問い合わせ先 大阪龍馬会事務局 電話・ファクシミリ 072-853-9669 090-9110-3355
〒573-0084 大阪府枚方市香里ヶ丘12-28-17 メール:s-hayasi@cronos.ocn.ne.jp

 宝暦治水事件は、江戸時代中期幕命による木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)に絡み、工事中薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に工事を担当した薩摩藩士が引責自殺した事件。この事件は、関ヶ原と共に、幕末の薩摩藩による討幕運動の大きな伏線となる。
 岐阜の羽島市に住む友人はこの話をよく知っていた。小学校で輪中の生活と木曽三川の治水、そして一番の難工事であった宝暦治水を詳しく学んだそうだ。日向松のことも。いまだに治水事業が行われた地域では語り継がれている話である。
 宝暦治水ではあまりにも幕府のやり方がひどかったので、その後の治水お手伝い普請では治水や土木の専門家が入り、長州藩の行った治水事業では死者0であった。

宝暦治水ツアーについて

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12月3日の宝暦治水ツアーですが、諸事情により来年に延期します。

2017年3月5日 総会と講演会「旧東海道を歩く」

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総会と講演会をAAホール(大坂海軍塾跡)で行いました。
講師は3年連続の正井良治さん。今回は「旧東海道を歩く」をテーマに街道の話を中心に話してくれました。
実際に2016年11月からほんまに東海道を歩かれたんですよ。タフでしょう。


少し暗いですが、スライドを使って写真ふんだんに




龍馬速報138号 発行

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2017年4月17日に龍馬速報138号(26頁)を発行。
実は2017年は大阪龍馬会創立30周年なのです。
紙面で30年を振り返る企画を4号に分けて行います。
今回は1987(昭和62)年から1996(平成8)年までの年表、イベント写真、このとき芝居に凝っていたので芝居の写真などで振り返りました。
記事も林事務局長、上田敏雄副会長、林美奈子幹事が書いてくれました。



神戸史跡探訪vol.4の案内 神戸史跡探訪vol.1「神戸市中央区」冊子販売のご案内 京街道を歩こう第5弾「守口宿」のご案内 1月22日「澤田先生と行く山田家住宅」に参加して(溝端亜由美) 講演会「旧東海道を歩く」を拝聴して(岡田真実) 坂本龍馬と中岡慎太郎ゆかりの佐賀関(藤井一弘) 大坂の史跡を訪ねて連載66回目(長谷吉治)
創立30周年を迎えて 草創の5年間(林慎吾) 過去を振り返って(上田敏雄) 激動の日々 劇団「大阪龍馬会」(林美奈子) 大阪龍馬会活動記録(1987年~1996年) 編集後記 大阪龍馬会販売冊子の知らせ

新聞記事 寝そべってもええぜよ高知に「リョーマの休日」像/維新博 幕開け 志士足跡 各地で追う 龍馬「新国家」手紙公開/春の特別展:幕末群像、無名志士に光当て 初公開の自画賛や短刀含む100点 霊山歴史館/幕末の息吹 志士写真から 新博一環 宿毛歴史館 勝海舟や後藤象二郎ら展示/勝海舟記念館着工へ 大田の別荘跡地 旧文庫改修/龍馬の相棒、用心深く 中岡慎太郎 偽名、筆跡変えた手紙/浦賀ドック建設 貴重写真で 横須賀製鉄所ゆかりの資料展示/いばらき魅力再発見:水戸市松本町回天館 幕末・天狗党の悲劇伝える/支局長からの手紙:新発見の二つの書状

2017年4月2日 京街道を歩く第4弾 楠葉砲台と枚方宿

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2017年4月2日 京街道を歩く第4弾 楠葉砲台と枚方宿に行ってきました。案内は林慎吾事務局長。
今回はそんなに歩きませんと言われた通り、ほんとうに歩きませんでした。



枚方公園駅で集合して、枚方宿の花街や、川崎麻世の実家の喫茶店前を通り、枚方市立鍵屋資料館へ。
枚方宿の説明やくらわんか船の由来など見ごたえありました。なんといってもその外観は昔の船宿。



枚方市駅までの一駅でしたが、昔の面影を残すたくさんの建物がありました。

本陣跡公園で「くらわんか餅」を皆でいただき、林一家のはるちゃん(柴犬)ともここでお別れして、枚方市駅から京阪電車に乗って橋本駅へ。

前回訪問した樟葉砲台がきれいに整備されたので向かいました。







当時の建物が分かるように植栽で表現されていて堀は水色の路面。蓮華がいっぱい咲いていました。なかなかいい感じです。

そして待ち焦がれていた「樟葉砲台」の石碑(橋本砲台と書いてるが)が復活していました。

終了時間は16時。こんなに早く終わるイベントは久しぶりでした。

2017年4月16日 神戸史跡探訪vol.4

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桜満開の4月16日 神戸史跡探訪に行きました。講師は長谷吉治幹事。長谷講師の神戸も4回目。
今回は神戸史跡探訪vol.1のテキストを持って新神戸駅に集合しました。




たくさんの史跡をまりました。



異人館街をゆく、受付の人は糠よろこび

新神戸駅あたりへ戻って今度は西へ向かいます。街路の木の名前が「泰山木」であることを最近長居の植物園に通っている川口さんよりレクチャーしていただきました。
しかしまあ、異人館周辺は坂道なワケですよ。結構な坂。しかもこの日は急に暑くなったこともあって某U田さんが早くもピンチ。とりあえず、励ましなだめすかしながら歩きました。
坂をひたすら登って「坂の上の異人館/旧中国領事館」。中華民国南京国民政府時代の領事館だったそうです。あ、でも中には入りません。受付の人からしたら「あ、団体さんだわ。うふ。えー登ってきたのに入らないのー?」って感じだったかもしれません。

続いて、現在、結婚式場となっている「旧ハンター邸(日本家屋)」。落ち着いた中にも重厚さのある素敵な建物です。こういうところで挙式したいなー。よーしまだあきらめないぞ(何を)……といった妄想はどうでもよく、旧ハンター邸の門や外壁の名残が道々の色んなところに有馬温泉!なのが面白かったです。壁のHのイニシアルなんて普通に歩いていたら気づかないかもしれませんよ。
 
さて、異人館街で多分一番有名なのが「風見鶏の館」。しかしこれまた館に尻を向けて、反対側の「ジャーデン・マセソン商会の門柱」にシャッターを切る我々なのでありました。長州ファイブのイギリス留学援助でも有名なジャーデン・マセソン商会、旧居留地に建っていた建物の門柱を保存のためにここに移してきたそうです。因みにこのレンガの積み方はイギリス積みというやつですね。


風見鶏の館には目も向けず、その前にあるレンガ造りの門柱の説明を


神戸海軍営の碑



花隈城跡、そして伊藤博文、さらに柴田剛中。

 山を下って諏訪山児童公園でしばし休憩後は市街地へ向かいます。暑さもあって皆さんややバテ気味です。U田さんも薄れゆく意識の中でうわごとのように「ビール…」とつぶやいておられました。この公園内には「明治天皇御小休舊神戸税関監視部建物」の碑もあります。さすがは日本一石碑の多い明治天皇ですね。
南へ下って住宅地の細い道を歩いて行くとつきあたりに工事現場のフェンスがありました。こちらは「伊藤博文令嬢の墓所跡」なんだそうです。当時の新聞記事を合わせてご紹介いただきました。そしてフェンス越しに写真を撮る我々なのでした。

さらに南へ向かいます。下山手通の「小泉八雲旧居跡」では、これまた「こんなところにゆかりの地が!」とびっくりしつつ、「花隈城跡」へ。ちょっとした高台の広場に円柱の碑があります。石碑の文字は「侯爵 池田宣政」書。この方は荒木村重が籠城する花隈城を攻めた池田恒興のお血筋なんですよね。中々感慨深いです。
横には達筆な文字で「東郷井」と書かれた石碑が有馬温泉。東郷とはもちろん東郷平八郎。デュークではありませんよ。「初代(!)戦艦大和」が神戸で建造中の明治18年から2年程、東郷平八郎はここからちょっと離れた所にあった「神戸倶楽部」に滞在していたそうで、その時使用いていた井戸を記念した石碑です。初代の大和の艦長は東郷平八郎(中佐)なんですね。因みに平成27年(つい最近!)までは石碑は元の場所にあったそうです。

再び町の路地を歩いて行くと「福徳寺」というお寺の前に「花隈城天守閣の跡」の碑がありました。規模としてはこちらの花隈町一帯が花隈城だったようです。
明治になるとこのあたりは花街として栄えていったそうです。今はその面影はほとんどありませんね。初代兵庫県知事として赴任した伊藤博文が住んだのもこのあたり。就任当時27歳。若い!庄屋橋本藤左衛門の別邸「橋本花壇」がその場所です。
伊藤博文が知事辞任後は妹さんが「吟松亭」という料亭を同じ場所で始めたそうです。その吟松亭の住所が古地図に載っているので「このあたりに伊藤博文が住んでいたことが分かる」わけです。そういうことを教えていただいて町を眺めると同じ町が違って見えますよね。来てよかった「大阪龍馬会 史跡探訪」と思うのですよ。いや本当。
なお、「吟松亭」にあった常夜燈が神戸市北区の料亭で見ることができるそうです。どうですか、奮発して料亭でも。


伊東博文寓居跡 長谷さんが場所の推定をしました。すごいですね。




記念写真は「あ。撮るの忘れていた。」とのことで最後に訪れた「善福寺(モダン寺)」で。インド風の塔がオシャレです。
慶応3年、幕臣柴田日向守剛中が神戸開港の業務のためこちらに滞在していたそうです。勉強不足の私は、柴田剛中という方はまったく知らなかったのですが、文久遣欧使節として欧州を回ったこともあるようで、その経歴からしてとても有能な方のようです。福澤諭吉と一緒に写っている写真でも切れ者感が出ています。こんな感じで今まで知らなかった人物に興味が湧くのも史跡巡りの楽しみですね。
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