桜満開の4月16日 神戸史跡探訪に行きました。講師は長谷吉治幹事。長谷講師の神戸も4回目。
今回は神戸史跡探訪vol.1のテキストを持って新神戸駅に集合しました。
たくさんの史跡をまりました。
異人館街をゆく、受付の人は糠よろこび
新神戸駅あたりへ戻って今度は西へ向かいます。街路の木の名前が「泰山木」であることを最近長居の植物園に通っている川口さんよりレクチャーしていただきました。
しかしまあ、異人館周辺は坂道なワケですよ。結構な坂。しかもこの日は急に暑くなったこともあって某U田さんが早くもピンチ。とりあえず、励ましなだめすかしながら歩きました。
坂をひたすら登って「坂の上の異人館/旧中国領事館」。中華民国南京国民政府時代の領事館だったそうです。あ、でも中には入りません。受付の人からしたら「あ、団体さんだわ。うふ。えー登ってきたのに入らないのー?」って感じだったかもしれません。
続いて、現在、結婚式場となっている「旧ハンター邸(日本家屋)」。落ち着いた中にも重厚さのある素敵な建物です。こういうところで挙式したいなー。よーしまだあきらめないぞ(何を)……といった妄想はどうでもよく、旧ハンター邸の門や外壁の名残が道々の色んなところに有馬温泉!なのが面白かったです。壁のHのイニシアルなんて普通に歩いていたら気づかないかもしれませんよ。
さて、異人館街で多分一番有名なのが「風見鶏の館」。しかしこれまた館に尻を向けて、反対側の「ジャーデン・マセソン商会の門柱」にシャッターを切る我々なのでありました。長州ファイブのイギリス留学援助でも有名なジャーデン・マセソン商会、旧居留地に建っていた建物の門柱を保存のためにここに移してきたそうです。因みにこのレンガの積み方はイギリス積みというやつですね。
風見鶏の館には目も向けず、その前にあるレンガ造りの門柱の説明を
神戸海軍営の碑
花隈城跡、そして伊藤博文、さらに柴田剛中。
山を下って諏訪山児童公園でしばし休憩後は市街地へ向かいます。暑さもあって皆さんややバテ気味です。U田さんも薄れゆく意識の中でうわごとのように「ビール…」とつぶやいておられました。この公園内には「明治天皇御小休舊神戸税関監視部建物」の碑もあります。さすがは日本一石碑の多い明治天皇ですね。
南へ下って住宅地の細い道を歩いて行くとつきあたりに工事現場のフェンスがありました。こちらは「伊藤博文令嬢の墓所跡」なんだそうです。当時の新聞記事を合わせてご紹介いただきました。そしてフェンス越しに写真を撮る我々なのでした。
さらに南へ向かいます。下山手通の「小泉八雲旧居跡」では、これまた「こんなところにゆかりの地が!」とびっくりしつつ、「花隈城跡」へ。ちょっとした高台の広場に円柱の碑があります。石碑の文字は「侯爵 池田宣政」書。この方は荒木村重が籠城する花隈城を攻めた池田恒興のお血筋なんですよね。中々感慨深いです。
横には達筆な文字で「東郷井」と書かれた石碑が有馬温泉。東郷とはもちろん東郷平八郎。デュークではありませんよ。「初代(!)戦艦大和」が神戸で建造中の明治18年から2年程、東郷平八郎はここからちょっと離れた所にあった「神戸倶楽部」に滞在していたそうで、その時使用いていた井戸を記念した石碑です。初代の大和の艦長は東郷平八郎(中佐)なんですね。因みに平成27年(つい最近!)までは石碑は元の場所にあったそうです。
再び町の路地を歩いて行くと「福徳寺」というお寺の前に「花隈城天守閣の跡」の碑がありました。規模としてはこちらの花隈町一帯が花隈城だったようです。
明治になるとこのあたりは花街として栄えていったそうです。今はその面影はほとんどありませんね。初代兵庫県知事として赴任した伊藤博文が住んだのもこのあたり。就任当時27歳。若い!庄屋橋本藤左衛門の別邸「橋本花壇」がその場所です。
伊藤博文が知事辞任後は妹さんが「吟松亭」という料亭を同じ場所で始めたそうです。その吟松亭の住所が古地図に載っているので「このあたりに伊藤博文が住んでいたことが分かる」わけです。そういうことを教えていただいて町を眺めると同じ町が違って見えますよね。来てよかった「大阪龍馬会 史跡探訪」と思うのですよ。いや本当。
なお、「吟松亭」にあった常夜燈が神戸市北区の料亭で見ることができるそうです。どうですか、奮発して料亭でも。
伊東博文寓居跡 長谷さんが場所の推定をしました。すごいですね。
記念写真は「あ。撮るの忘れていた。」とのことで最後に訪れた「善福寺(モダン寺)」で。インド風の塔がオシャレです。
慶応3年、幕臣柴田日向守剛中が神戸開港の業務のためこちらに滞在していたそうです。勉強不足の私は、柴田剛中という方はまったく知らなかったのですが、文久遣欧使節として欧州を回ったこともあるようで、その経歴からしてとても有能な方のようです。福澤諭吉と一緒に写っている写真でも切れ者感が出ています。こんな感じで今まで知らなかった人物に興味が湧くのも史跡巡りの楽しみですね。
今回は神戸史跡探訪vol.1のテキストを持って新神戸駅に集合しました。
たくさんの史跡をまりました。
異人館街をゆく、受付の人は糠よろこび
新神戸駅あたりへ戻って今度は西へ向かいます。街路の木の名前が「泰山木」であることを最近長居の植物園に通っている川口さんよりレクチャーしていただきました。
しかしまあ、異人館周辺は坂道なワケですよ。結構な坂。しかもこの日は急に暑くなったこともあって某U田さんが早くもピンチ。とりあえず、励ましなだめすかしながら歩きました。
坂をひたすら登って「坂の上の異人館/旧中国領事館」。中華民国南京国民政府時代の領事館だったそうです。あ、でも中には入りません。受付の人からしたら「あ、団体さんだわ。うふ。えー登ってきたのに入らないのー?」って感じだったかもしれません。
続いて、現在、結婚式場となっている「旧ハンター邸(日本家屋)」。落ち着いた中にも重厚さのある素敵な建物です。こういうところで挙式したいなー。よーしまだあきらめないぞ(何を)……といった妄想はどうでもよく、旧ハンター邸の門や外壁の名残が道々の色んなところに有馬温泉!なのが面白かったです。壁のHのイニシアルなんて普通に歩いていたら気づかないかもしれませんよ。
さて、異人館街で多分一番有名なのが「風見鶏の館」。しかしこれまた館に尻を向けて、反対側の「ジャーデン・マセソン商会の門柱」にシャッターを切る我々なのでありました。長州ファイブのイギリス留学援助でも有名なジャーデン・マセソン商会、旧居留地に建っていた建物の門柱を保存のためにここに移してきたそうです。因みにこのレンガの積み方はイギリス積みというやつですね。
風見鶏の館には目も向けず、その前にあるレンガ造りの門柱の説明を
神戸海軍営の碑
花隈城跡、そして伊藤博文、さらに柴田剛中。
山を下って諏訪山児童公園でしばし休憩後は市街地へ向かいます。暑さもあって皆さんややバテ気味です。U田さんも薄れゆく意識の中でうわごとのように「ビール…」とつぶやいておられました。この公園内には「明治天皇御小休舊神戸税関監視部建物」の碑もあります。さすがは日本一石碑の多い明治天皇ですね。
南へ下って住宅地の細い道を歩いて行くとつきあたりに工事現場のフェンスがありました。こちらは「伊藤博文令嬢の墓所跡」なんだそうです。当時の新聞記事を合わせてご紹介いただきました。そしてフェンス越しに写真を撮る我々なのでした。
さらに南へ向かいます。下山手通の「小泉八雲旧居跡」では、これまた「こんなところにゆかりの地が!」とびっくりしつつ、「花隈城跡」へ。ちょっとした高台の広場に円柱の碑があります。石碑の文字は「侯爵 池田宣政」書。この方は荒木村重が籠城する花隈城を攻めた池田恒興のお血筋なんですよね。中々感慨深いです。
横には達筆な文字で「東郷井」と書かれた石碑が有馬温泉。東郷とはもちろん東郷平八郎。デュークではありませんよ。「初代(!)戦艦大和」が神戸で建造中の明治18年から2年程、東郷平八郎はここからちょっと離れた所にあった「神戸倶楽部」に滞在していたそうで、その時使用いていた井戸を記念した石碑です。初代の大和の艦長は東郷平八郎(中佐)なんですね。因みに平成27年(つい最近!)までは石碑は元の場所にあったそうです。
再び町の路地を歩いて行くと「福徳寺」というお寺の前に「花隈城天守閣の跡」の碑がありました。規模としてはこちらの花隈町一帯が花隈城だったようです。
明治になるとこのあたりは花街として栄えていったそうです。今はその面影はほとんどありませんね。初代兵庫県知事として赴任した伊藤博文が住んだのもこのあたり。就任当時27歳。若い!庄屋橋本藤左衛門の別邸「橋本花壇」がその場所です。
伊藤博文が知事辞任後は妹さんが「吟松亭」という料亭を同じ場所で始めたそうです。その吟松亭の住所が古地図に載っているので「このあたりに伊藤博文が住んでいたことが分かる」わけです。そういうことを教えていただいて町を眺めると同じ町が違って見えますよね。来てよかった「大阪龍馬会 史跡探訪」と思うのですよ。いや本当。
なお、「吟松亭」にあった常夜燈が神戸市北区の料亭で見ることができるそうです。どうですか、奮発して料亭でも。
伊東博文寓居跡 長谷さんが場所の推定をしました。すごいですね。
記念写真は「あ。撮るの忘れていた。」とのことで最後に訪れた「善福寺(モダン寺)」で。インド風の塔がオシャレです。
慶応3年、幕臣柴田日向守剛中が神戸開港の業務のためこちらに滞在していたそうです。勉強不足の私は、柴田剛中という方はまったく知らなかったのですが、文久遣欧使節として欧州を回ったこともあるようで、その経歴からしてとても有能な方のようです。福澤諭吉と一緒に写っている写真でも切れ者感が出ています。こんな感じで今まで知らなかった人物に興味が湧くのも史跡巡りの楽しみですね。